父の月命日に思ふ。もっと親孝行したかったな。
父の月命日に思う。
父がこの世を去って、3ヶ月が過ぎようとしています。
この3ヶ月に、母は父が経営していた会社をどうするのか?会社経営での借金をどうするのか?弁護士の先生に相談して駆け回っています。
普段は、おっとりしていて殆ど怒らない天然系の母が、後始末に一生懸命奔走している様子を電話で母に聞く度に、仕事で忙しいことを理由に、すべて母任せにしてしまっていることがなんだか申し訳なく思っています。
父の遺言?
父と最後に交わした言葉は、「この家を頼むな」でした。
私は3人の男兄弟の長男です。
父の経営する会社で借金があるために、恐らく実家は無くなってしまうだろうと思います。
家族は、遺産を相続することで借金が背負わされるために遺産放棄の道を選択し、遺産相続の放棄手続きをしてから、家庭裁判所から相続放棄申述受理通知書が届いたのが、偶然にも父の月命日の日でした。
なんとなく父からの遺言を預かったような感じでした。
残念ながら結果的に相続放棄となってしまいましたが、それでも父からは「これで良かったんだ。」と言われたような気がします。
この家を頼むなと言われて、その後に相続放棄になってしまうのは、もちろん不本意でしたし、なんとなく父に申し訳ない気持ちもありますが、こればかりはどうしようもありません。
親孝行したかったな。
生前父ともっと色々な話をして、できる限りのことはしてあげたかったなという思いが正直あります。
特に私は親孝行をたくさんしたわけではなかったので、余計にそういう思いが出てきてしまうのだと思います。
思えば、父の望む息子では無かったような気がします。
私にとって父は偉大で尊敬をしていたので、いつも父の背中を追いかけてきましたが、最後まで追いつくことはできませんでした。
そして、最後まで心配を掛けていました。
それでも唯一の親孝行は、孫の顔を見せられた事かな。
父は孫の顔が見たいとずっと言っていたので、結婚して7年目にようやく孫を見せることが出来てすごく喜んでくれたので、それくらいかなと思います。
我が家は男ばかりの家庭でしたから、殊更女の子が欲しかったようです。
そして念願の娘の誕生の時には、目に入れても痛くないと言うほど父は娘を本当に可愛がってくれました。
遺された母は・・・
現在母は、唯一独身の三男が母と一緒に住んでくれることになり、今一緒に住んでいますが、実家を手放すことになったらどうするのかも考えなくてはならなくなります。
出来れば家族全員が近場に住んでいたいですが、どうなるのでしょうか。
次男の子供はまだ小さくて、共働きというのもあり、たまに母に見て貰っていますが、これからそれも出来なくなると思います。
近い将来、みんながそれぞれ決断を迫られる時が来ます。
その時に、長男である私が出来ることを精一杯したいと思っています。