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癌は治らないのか?小林麻央さん死去で考える父と癌と家族について

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小林麻央さん死去のニュースで考えたこと

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今日、残念なニュースがありました。

フリーアナウンサー市川海老蔵さんの奥様である小林麻央さんが癌で亡くなったとのこと。

会社でもこの話題でもちきりでした。

芸能人の死去のニュースは今まで何度もありましたが、今回の麻央さんの死去は、各方面に衝撃と悲しみを与えたニュースだったと思います。

それほどみんなが心配し、また愛されて亡くなった麻央さんは、記憶に残るすごい人だったんだと思います。

残されたまだ幼い子供たちのことを思うと、胸が痛いですが、これからは海老蔵さんが麻央さんの分まで背負って頑張っていくしかないと思います。

それでも偉大な母親(麻央さん)の存在を超えることは出来ないかも知れませんが、きっと今の海老蔵さんだったら立派に育て上げられるのではと思っています。

 

父の癌について

 

実は先週、私の父も癌でこの世を去りました。74歳でした。

前日まで現役で仕事をしていて、日常生活も普通に生活出来ていたので、まさかこんなに早く逝ってしまうとは正直思いませんでした。

父の病名は胆管癌でした。

癌が分かったのは昨年の6月頃でしたので、癌が判明してから1年間の余命を過ごしたことになります。

父の場合、お腹に違和感が昨年初めからあったとのことで、3月上旬に近所の病院に行ったのがきっかけでした。

検査をしましたが、お腹に胆石があるという診断で、重病じゃなかったことでホッとしていたのです。

ただその後1ヶ月経っても、2ヶ月経っても全く治る気配がなく、お腹の違和感は痛みに変わり、本当に胆石なのかと疑問が出てくるようになりました。

5月に入り、もう少し詳しい検査をしてくれないかと担当医師にお願いし、検査入院をすることに。

そこでMRIなどの詳しい検査をして、本当に胆石なのか否かを確認してもらうことになりました。

ただ入院して検査をしても、その結果が出るまでに退院後1ヶ月くらいかかるらしく、待つ身としては気が気ではありません。

結局『胆管癌』と正式に病名がわかったのは、入院してから1ヶ月以上経った6月上旬だったのです。

この時ばかりは、私を含め家族はかなりの衝撃とショックを受けました。

今まで本当に元気で病気などしたことがなかった父が、いきなり癌とは・・・。

しかも胆管癌という癌の中でも最も治りづらい癌で、しかも既にステージ4まで来ていることも判明。

もう手術も出来ないと言われました。

何ということか!私は怒りがこみ上げました。

私たち家族の中で、もっと早い段階でもっと大きい病院へ行くべきだという話も出ていたのですが、自宅からの距離や転院が面倒だという理由、まさか癌などの重病ではないのではないかという判断で、その病院での検査をお願いしていたのですが、結局胆管癌だと分かるまでに3ヶ月もかかったことや、大きい病院ではないからことでの遅い対応などに辟易し、怒りもこみ上げ、ついにもっと大きい病院を紹介してもらうことにしました。

この時の段階で、もう父は随分食欲がなくなり、最大で80kgあった体重は68kgまで落ちていました。

他の大きい病院であれば、何かもっと良い手立てがあるかも知れない。

藁をもつかむかの如く、2件目の病院へ行き、再度検査入院となりました。

それでも1件目の病院で言われたことと、結果は同じでした。

もうダメなのか?

家族みんなで途方に暮れつつも、それならその2件目の病院よりも近くて、通院しやすいところがいいのでないかという理由で、3件目の病院を紹介してもらうことにしました。

 

病院から言われた衝撃の一言!

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9月になり3件目の病院に行き、再度検査をしたところ、病院から言われたのは、あまりに衝撃的な言葉でした。

 

「なぜもっと早くうちの病院に来なかったのですか?」

 

既に癌もかなり進行しており、手術も出来ない状況で、余命3ヶ月から6ヶ月と告げられた時には、もっと早く分かっていれば、もっと長く生きることも出来たのではないかと後悔しました。

というのも、3件目の病院が自宅から一番近く、最初に行った病院よりも大きい病院だったからです。

やはり大きい病院は混んでいるし、待ち時間が長いなどの理由で敬遠しがちなんですよね。

父も、まさかこんな重病だと最初は思わなかったというのもあると思います。

それでも最初に病院に行ってから、既に半年の月日が経過していましたから、その半年前に、この病院に行っていれば多少変わったかも知れないと思うと、なんとも言えないやるせなさを感じました。

 

やはり癌は治らないのか?

 

父は気丈に振る舞っていましたが、当然不安もあったかと思います。

私たちに心配を掛けまいとして、絶対に癌を治すという意気込みで仕事を続けていました。

また、私の娘の成人式まで生きるんだとも言っていました。

その父の思いとは裏腹に、父の体重はどんどん減っていき、ついには60kgを切ってしまいました。

そして10月。

3件目の病院でも、もう手術は出来ず、通院で抗がん剤治療をしていきましょうということになりました。

11月。

抗がん剤治療も効かないとのことで、もう完全に病院から匙を投げられてしまいました。

余命1ヶ月。

そう先生に宣告されてしまったのです。

それでも父は頑張りました。

体重は更に痩せ、55kgを切っていましたが、家で仕事をしながらできるだけ食べられるおかゆは必死で食べ続けました。

すると余命1ヶ月は過ぎ、2ヶ月、3ヶ月と寝たきりなどにもならず、普通に生活している父がいました。

月に一度の検診で、毎回担当医師も驚いていたようでした。

何より介護を必要としないで、普通に生活できている父を見て、我々家族も安心しておりましたし、これなら年末にある私の娘の「1/2成人式」も見てもらえるかも?という淡い期待などもしていたのです。

 

6月に入り、体重は47kgになっていました。

立ったり座ったりが時間がかかるようになり、トイレも母の手助けがないといけなくなっていました。

それでもまだ寝たきりではなかったので、なんとか大丈夫だろうと思っていたのですが、突然その日はやってきてしまいました。

朝ご飯は今日は食べたくないと言った父に、呼びかけた母。

もう返事がなく、あっけなく逝ってしまったのです。 

 

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親孝行したいときに親はなし

振り返ってみると、心配や迷惑こそ掛けるばかりで何一つ親孝行なんかしてこなかったなと思います。

親孝行出来たとすれば、子供好きな父に孫をプレゼント出来たことだけかな?

私は3人の男兄弟の長男で、父は一人くらい女の子の娘が欲しかったようです。

そこへ、孫娘をプレゼント出来て、すごくかわいがってもらったので良かった思います。

生まれたときの父の嬉しそうな顔を今でも鮮明に覚えています。

父は、孫娘を連れていつもどこかに行っていました。

近くまで散歩に行ったり、ドライブに行ったり、おいしい物を食べに行ったりと。

そして娘には色々なものを買ってもらいました。

娘も父との思い出が沢山あるようで、娘にとっても父が亡くなったことはかなりショックだったようです。 

ただ無念なのは、父が息を引き取る時にそばに居ることが出来ず、看取れなかったということですね。

あっという間に逝ってしまったので、大好きな孫娘と会わす事も出来ませんでした。

それが残念です。

 

残された母は・・・

 

母は涙も見せず、現在も気丈に振る舞っていますが、やはり一番ショックで一番さみしい思いをしていると思います。

幸いにも3男の弟が独り身なので、これを機に母と同居することになったので、とりあえず一安心です。

いつまでも、悲しんでばかりではしょうがありません。

前を向いて歩いていこうと思います。

特に母は、パートに行くことも考えていたり、先日に書いたようにコンビニ経営を考えていたりとこれからの事を前向きに考えております。(コンビニ経営は諦めてもらいましたが)

 

cha-chan-papa.hatenablog.com

 

私は、父の背中を追いかけていました。

すごく尊敬できる父でした。

父の教えを守り、今後は子供にもその教えを繋いで行きたいと思います。

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